お酒の話 鳥せいの歴史

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お店に なかなか いない お酒担当山本です。

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鳥せいは、創業延宝5年(1677)京都伏見の老舗造り酒屋「山本本家」が

古い酒蔵を改装して、美味しい自醸酒を飲んで頂お店として、

昭和50年に開店したことから始まります。

始めたのは、先代の源兵衛(代々源兵衛を襲名しています)

(今は、兄が十一代源兵衞)

当時、蔵元が直営する飲食店は、日本には全くなかった時代、

蔵の前には、観光客はおろか、5時を過ぎると

誰も人がいない場所でした。

周りの大反対を押し切って

美味しい酒をできるだけ多くの方に飲んでほしいと

開店しました。

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鳥せいの歴史

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先代、源兵衛は、酒蔵の町伏見に多くの観光のお客様に来てもらい

美味しい伏見の日本酒を飲んでほしいという、当時は、無謀とも思われる夢を描いていました。

 

その当時の日本酒は、ビールやワイン、ウイスキーの台頭で、

売り上げを減らし続けていました。

 

特に伏見は、その市場が関西に少なかったこともあって、

伏見が酒造りの町であることを表に出しはしていなかったのです。

 

伏見のトップブランド「月桂冠」も

キャッチフレーズは「日本の酒」でした。

 

しかし、先代社長は、ヨーロッパのワイナリーには、

酒蔵の横に、必ず、味見のできる店があるのに、

日本酒は、なんでないのか?

 

伏見は、日本で2番目の酒造地であり、

京都に隣接する魅力ある街であるのに

観光のお客様は、全く来ないのか?

 

第1歩として、酒蔵の一部を改装して

自醸酒を安くて、美味しく飲んでもらえる

居酒屋「神聖酒場 鳥せい」を開店しました。

改装後の店内

なんで、料理が焼き鳥だったか?

それは、安くて美味しかったから?

もう、先代はいないので、はっきりはわかりませんが・・・

 

こうして、最初は、50席程度 小さいお店でした。

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当然ですが、

誰も通らない場所に店を出しても

誰も来ません。

当時、中学生だった、三男坊の私も

週に2・3回は、父に呼び出されて

「お客様いないので、ご飯食べに来い」と言われました。

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3か月ほどたって

6時のニュースに取り上げられ

私もさくらで映りました。

それからは、多くの方を迎えることができるようになり、

何度か、増築して、

今は280席 多い日には1000名近いお客様が来ていただけます。

続きは、またにして・・・

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鳥せい京都タワーサンド店

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おかげさまで、鳥せい本店が京都伏見の日本酒の美味しい店として

知られるようになったので、

京都タワーの飲食街の企画で、核店舗として出店を依頼していただいたので

先代源兵衛の3男である私が、父の遺志を継いで、

美味しくて、安い、日本酒と焼き鳥の店を開店しました。

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店のイメージは、酒屋の京町家

入口

路地

京町家の居間

奥の間

飾りで奥には入れませんが

外でも、飲めて

 

人の集まる楽しい京町家です。